よく晴れた日曜日。私はいつものように洗濯物を干した。今週は暑い日が続いたからたくさん着替えた。洗濯籠の中には色とりどりのTシャツがくしゃくしゃになってつめこまれている。その中から一番上にあった一枚を取り出して、皺をのばしてハンガーにかける。洗濯物を干すのってのってけっこうな重労働だけど嫌いじゃない。あの戦争があった頃も、毎日のように私は洗濯物を干していたから。もっともあの頃干していたものは、ドス黒い血にそまった包帯か、汗と泥と血にまみれた団服か、もう着る人間のいない白いフード付きのコートばかりだったけど。
重くて暗い歴史に終止符が打たれたのはもう何年も前のこと。結果、世界は終焉を迎えなかった。世界は終わることなかったけど、たくさんの人が犠牲になった。世界を守るという大きな目的は達成されたけど、私の友人で今でも元気に生きている人は数えるほどしかいない。何処をほっつき歩いているのかわからない奴らばかりだから、連絡すらとれない。もしかしたら、何処かでのたれ死んでいてもきっと私に知らせは来ない。

あの人は今、どうしているんだろうか。

ふと、そんなことを思ったのは庭に咲いた真っ赤な薔薇が目に止まったから。
特に趣味があるわけでもなかったので、暇つぶしにはじめたガーデニング。気がつくと、庭中花でいっぱいになっていた。今では、季節によって色を変える庭を手入れするのが日課だ。たくさんの花を育ててきたけれど、やっぱり薔薇の花が一番美しく映える。それはきっと、私の中で赤を見ると、あの人が思い浮かぶからだろう。あの赤髪の彼、あのときはラビという名前だった。ブックマンの後継者で、いろんなことを覚えていた。へらへら笑うのに、世界を知っていて、いつも何処か遠い存在。真っ赤な髪が食堂にいると今日も生きているんだって安心していた。イノセンスもない、特別何か持っているわけでもない私は、教団で暮らす人達の掃除や洗濯が主な仕事だったから、あの人とあまり話す機会はなかった。あの夜までは。




大きな戦いがあった日は24時間包帯が必要になるから大忙しだった。
夜中も洗濯機はフル稼働で、洗っても落ちない血を手洗いで必死に洗っていた。寒いし、手は荒れるし、あまり好きな作業ではないけれど、これだけの血を流して必死に戦っている仲間がいると考えると手を休める気にはならなかった。
ようやくひと段落ついた頃にはもう夜も更けていて、教団内は静まりかえっていた。ガタンゴトンとなり続けていた洗濯機も止まっていることに気づき、私の仕事がようやく終わったんだと思うとほっとした。冷えた手をこすりあわせてはあと息をかける。真っ赤になった手はかじかんでいて、感覚がなかった。夜中だっていうのに、やけに目が冴えてしまっていて、私は洗濯機に背中をあずけてずるずるとしゃがみこんだ。確か昼は晴れていた。きっと星が綺麗に見える。どうせ眠れないなら星を見よう。そう思い、私は立ち上がって屋上を目指した。
冬の屋上は思った以上に寒く、ドアを開けた瞬間思わず身震いしてしまった。かじかんだ手でドアを閉めて、屋上の一番真ん中にいこうとすると、そこにはすでに先客がいた。
「ん?」
「あ、ごめんなさい」
銀の装飾に胸のローズクロスをあしらった黒いコート。間違いなくエクソシストの人だ。赤髪のブックマン見習いの人が最近入ってきたという噂を聞いたことがある。この人のことだろう。今日の戦いにもきっと最前線で戦ってきたはず。星を見ながら亡くなった戦友のことを考えているのだとしたら、私はいるべきではない。立ち去ろうと思ってくるりと反対を向くと、止められた。
「なんで帰るんさ?」
「なんでって・・・邪魔かと思いまして」
「邪魔なんかじゃないさ。つーか俺、今一人でいたいけどいたくない気分なんさ。暇ならちょいと付き合ってくれませんかね?」
語尾をあげてはいるけど、その目は少し冗談まじりで、でも拒否権をあたえない目だったから、私は黙って頷いた。隣をぽんぽんとたたくので、言われたとおりにそこに座る。
「名前は?」
です」
「へー、か。今日一日洗濯お疲れさま」
「なんで知ってるんですか?」
「ん、だって俺見てたもん。自分の背より高い洗濯物の山かかえて階段を上ってるとこ。俺、そん時すげー落ちてたから、元気もらった」
ありがとうといわれて少し照れくさい気持ちになったど、私は何もしていないからなんだかくすぐったい。
「私の方が貴方にお礼を言わなきゃいけませんよ」
「なんで?俺なんかイノセンスの力に頼ってるだけ、中途半端、自分がはっきりしない、最悪さ。達がいろいろやってくれなきゃ俺らなんて餓死か感染症で死ぬさ」
「そんなこと・・・」
「あるさ。自分の仕事にもっと誇りをもっていいと思うよ」
「ありがとうございます」
少しの間、沈黙が流れてから、ブックマン見習いの人がゆっくりと口を開いた。
は秘密って守れる?」
「口は堅いほうですけど」
「今から言うこと、秘密ね。俺、今迷ってんだ。どっちも大切なんだけど、どっちかしか選ばなきゃいけない。そんな状況で、どうしていいかわかんねえ。ブックマンなのに情けねぇ。つーか、こんなんで世界守る立場にいていいのかよってくらい。逃げたいけど、逃げられねぇんだ。」
ひとつ、ひとつ、ゆっくりと言葉を吐き出しただけなのに、私にはなんだか泣き叫んでいるように聞こえた。
「ごめん。なんかみっともないさ」
「みっともなくないと思います。貴方は今、分岐点にいるんです。迷うのも当然、つらいのも当然。ブックマンとはいえ、人間なんですから。迷ってるときに無理に決める道ほど後から後悔が募るだけだと思います。選ぶべき道はおのずと出てくると思うので、今は一日一日を精一杯生きることに打ち込んでいっていいんじゃないですか。もし、この先今あるもので何かを失ったとき、後悔しないように。少しでも、胸の中に楽しい過去があれば、次に進むときの原動力となるかもしれませんし」
「ありがとう、ってちっさいくせにすごいこと考えてるんさね」
「私なんかが偉そうなこと言っちゃってすみません」
「いや、俺にとっての答えが見つかった気がした。まだどうなるかわかんねぇけど、ありがとう」
くしゃ、と頭を撫でられて、嬉しかった。男の人の大きくてごつごつした手が私にふれたとき、少しどきっとした。
「俺の話終わり!次はの話!」
「え!?」
「いいから!」
何を話そうか迷ってたとき、少し風がふいて私の体を冷やした。思わず小さなくしゃみが出る。
「あ、ごめん。寒かったんさね」
そういうとブックマン見習いさんは自分のコートを脱いで私の肩にかけてくれた。大きくてあたたかいコートをいただきたいところだけど、私はそんないいご身分ではない。
「いいです。大丈夫です。貴方が風邪をひいたら大変です」
「女の子に寒い思いさせられないさ。着てて」
「だめです。これだけは譲りません」
きっぱりと答えて少し怒った顔で睨むとしぶしぶコートを着てくれた。その後、立ち上がって私の後ろに回ったかと思うと、私の体を後ろから包み込むようにして座った。男の人にこんなことされたのは初めてで、体が緊張と驚きで固まってしまう。
「ちょ、ちょっと」
「こうしたら俺もも寒くない。だろ?それに、俺のこと気に入っちゃったし」
「は!?」
「前から可愛い子だなとは思ってたけど、中身もしっかりしててすげー好み」
さっきの真面目で哀しそうな表情は何処へやら。演技だとしたらアカデミー賞主演男優賞を受賞できるんじゃないのか。ため息しか出てこなかった。
「軽いとか思ってるかもしんねーけど、俺、今本気で帰る場所見つけたって思ってるから。いつか、戦争とか終わって俺の仕事がいらなくなったときに俺、帰る場所がないから」
後ろから聞こえてくる声がまた寂しそうになって私はどっちを信じていいのかわからなくなった。エクソシストの人たちはいついなくなってしまうかわからない存在だから、この人は寂しいのかもしれない。さっきも言ってたように、今不安定なら、このときだけでも私は彼に合わせてあげたほうがいいのかも。
「かえってきたときは、おかえりって言って迎えてあげますよ」




あの夜以来、彼とは話していない。名前も知らないままあの夜を終えたので、後日ほかの人から聞いた。
何度もラビさん、と声をかけようと思った。食堂で会ったとき、階段ですれ違ったとき、仕事から帰ってきたとき。
何処にいても目立つあの赤髪が私の目を捉えた。そのたびに気になって仕方なかった。
でも、私が声をかけることもなく、ラビさんが私に挨拶をすることもなく、屋上で会うこともなかった。戦争が終わり、私達は離れてしまった。それでも私は彼との約束を忘れたことがない。町で赤髪を見つけるたびに、胸がどきどきして、がっかりしていた。きっと、彼は忘れてしまっているだろう。あのときの言葉はただの戯言だったんだ。
籠の一番奥に入っていたのは大きな白いシーツ。これで最後だと思うと、少し気合が入る。腕に力を入れて、ぐいとシーツの塊を持ち上げた。物干し竿の一番広いスペースにシーツを掛け、両端を小さな洗濯鋏ではさんだ。
全て終わるとなんともいえない達成感が胸いっぱいに広がる。シーツから少し離れて、干しきった洗濯物達を見た。風にゆれて白いシーツがゆれる。その端に、赤いものを見た。
赤いものはどんどん大きくなっていき、それは人の形になった。近づいてくるとその赤いものはものではなく、髪だった。
太陽のような真っ赤な髪。

「ただいま、
「おかえりなさい」



どこにいても見える赤髪
(やっぱり貴方の赤髪って目立つのね)

2008.03.10